市場の歴史


市場の始まり

名護市営市場は、明治のころからすでに存在していたと言われており、大正10年に公営市場が誕生しています。

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戦前


戦前の市場は人・物の集まる活気ある場所だったようです。
「名護市場は平和通りに面しているが、当時は5~6mほどの狭い道路で市場全体が低地となっていた。

敷地内の東側には、村経営の公益質屋があり、続いて同じ棟の形をした豚肉やが20m程軒を連ねていた。羽時からイモ売りが集まり、豚肉が台上に並べられる頃、市場に日が照りだし急に賑やかになる。朝一が始まる。」

(名護市史・本編7 社会と文化)より

 

 

 

 

 

戦後

戦争が終わると、再び人々が集まり始めました。前掲の名護市史に、「庁内での市場の形成は、現在の公設市場周辺から始まった。

一帯は戦前公益質屋や精肉市場があったところで、どこからともなく人々が寄り集まるようになり、物々交換が始まり、ヤミ物資の中継地点役割も加わって加速度的に市場が形成されていった。」「1949年12月に仮設町営市場が同じ場所に設けられ、1954年建物新築(改築?)」との記述があります。 (名護市史・本編7 社会と文化より)

また、当時の新聞には「名護に近代的な市場」と題して次のような記事が掲載されています。「新装なった(ママ)名護町営市場がきょう一日から店開きする。町が軍用地料の中から二万八千ドルを投じて古い市場を改築、完成したもの。内部は六十九軒の貸店舗でそれに三月には商工会事務所や観光協会事務局も新築される予定であり、発展する名護街の中心地として、また将来の大名護致死を構築して設計されているだけに見事なできばえである。」

(1962年2月1日 琉球新報より)

 

 

リニューアルオープン

 

時代が下り平静になると建物の老巧化が目立つようになり、場所を移し新たな市場の建設が始まりました。
2011年 (平成23年)、食文化の発信拠点として新しい市場がオープン!現在に至ります。

 

 

 

 

 

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